ムンバイの風 1
インドはムンバイのインプラント学会参加の為初めてのインドに向かうのでした
初めての海外旅行だという岡田先生と八戸駅で落合い、一路成田へ。行き先は34度らしいけれど、ここは5度!着ているものが難しいです(笑)。前泊の成田で沖縄から参加の宮里先生と初めて合いまして、こんにちは!初めまして!ですね。これから短い旅ですがそれなりの期待と緊張で、飲みが進みます(笑)。次の日早く空港へ向かい早々とチェックインを済ませラウンジへ。取りあえずビール(朝から)と天ぷらそば。
無駄話もそこそこにあっという間の搭乗でした。ビジネスジェットのムンバイ行きは長崎で一度給油をするというちょっとおしゃれな時間割。長崎では当然カステラを待合室で食いました(笑)。今まで食べた事のない程おいしい機内食を平らげ、ワインを頂き沢山頂、、、マハラジャ映画を堪能し爆睡し、成田から13時間ほどでインドムンバイに到着しました。行きは強い偏西風でなかなかスピードがでないんだろうな。。。だって帰りは7時間ちょっとの予定ですからね。
あ、、あ、、暑い!かと思ったら、天気がいまいちの夜の8時。まあそれなりの夏の気温です。ほとんど人のいない無防備とも思える入国を済ませ(インドはビザが必要なので入国カードさえ書けばスルーですな)インドルピーに両替し、、(お札の色が同じ金額で2種類だったり、ほとんどのお札にメモや落書きがある素敵なお札です)タクシーのプリペイドを買い予約してあるホテルに向かいました。。。国際空港の出口とは思えないほど貧相な駐車場に怪しい車が沢山いて、頼んだ車になかなかエンジンがかからない(笑)。このタクシーに乗り込んだところから、すべての期待がどこかへ行くほどのショックの連続が始まります。物語の始まりはすべてここからでしょう(笑)。道という道はヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒト車車車車車車車車車車車車クラクションクラクションクラクションクラクションクラクション・・・・・一体ここは何処なんだ????????インドという国のカオスを目の当たりにして、ワシらはしばらく言葉を発する事が出来ない金縛りにあうのでした(笑)。おぉ、これがインド!すげぇ~あの人だかりは何だ?あちこちでお祭りか?・・・浮遊するワシらの目。。明日は朝から学会なので、早め終了の飲みでしたが・・・・。ま、疲れてましたから。
曇っているのか、スモッグなのかわからないくらいのどんよりした朝日の中、ばっちり目が覚めた2日目です。後で聞くと、これはスモッグなのだと言われました。今ムンバイはアジア一の急成長を遂げていて、車の排気ガスで毎日薄ぼんやりした日が続くのだそうです。朝食はメインダイニングに向かいます。ビュッフェスタイルなので食いたい物を持ってきますが、お~みんな大好きなカレー味じゃないか。何でもかんでもカレー味、イケルよこれは・・てな感じで、初日の食事はカレー三昧!これうまいよ~、って情報交換です。確かに日本にはない香辛料が複雑に絡み合った本場の味は刺激的で挑発的です。午前の早いうちから歩いて5分ほどの会場へ。左が宮里先生、右が岡田先生、宮里先生は名字の通り(笑)沖縄から来てくれました立派な先生です。
ばっちり勉強した後ランチがつきます。ランチ会場はごった返しのビュッフェ。お皿にナンやカレーやサラダを取ってきます。おぉ、カレーだ、見事なカレーだ。ホテルの朝食より、もっとインドなカレーです。カレーを食べたらすぐに午後の時間割です。午前中がおしていたので、すぐ始まるんですが、ま、わかったようなわからないような英語のレクチャーでは、睡魔殿も当然満腹な訳です(笑)。
夕方終了後、他の先生に誘われて国立博物館へ。国立なのにこのしょぼさはナンなんだろう?等という感想には全く興味のないムンバイです。事件はその帰り道に起きました。この写真の直後、岡田先生は2人の男に足首をつかまれます。何するんだとかがんだ瞬間第3の男にポケットから財布を抜き取られました。幸い気がつき、岡田先生は賊の少年の首根っこを捕まえます。先生だって顔面蒼白。仲間は知らないとばかりに抜き取った財布を放り投げ逃走。おさえられていた少年は先生の手を思い切りひっかき逃走。ワシは先頭を歩いていたので何があったのか気がつかなかったのですが、他の先生の「ぽり~~す~~。」という声で状況を理解したのでした。う~ん、インドです。私の後ろにも物乞いをする片足の無い少年が写っていますね。写そうと思わなくとも、すぐにこう言う人達がファインダーに入り込む街、これが真実のインドです。
ムンバイは1900万人もの人口の世界最大の都市です。しかし、世界トップテンの金持ちから、物乞いさんまでが住んでいると言う事を理解しなければなりません。路地は人で溢れ、多種多様な職業が存在し、宗教も74%のヒンドゥー教徒、12%のイスラム教徒、その他キリスト教6%、ターバンまいてるシク教2.2%仏教1%、お金持ちのジャイナ教0.5%てな感じ。0.02%しかいないゾロアスター教も社会的力が大きいので、インドの中で生き残るだけではなく、彼らの死んでからの風習・・・火葬にしたりせず地面にほうっておいて自然に還す(鳥葬も含む)場所すら確保されているのがすごい事です。また、ヒンドゥーの教えは、裕福な人が貧乏な人に施しをするのがあたり前と経典に書いてあるので、町中何処を歩いていても、特に外国人が集まる所は、赤ん坊を抱いた若い女性の物乞いさんや、少年の物乞いが、嫌と言うほどまとわりついてきます。彼らは決して手出しはしませんから安心ではあります。そして下の写真のように比較的明るいんです。。
人の生き様がカオスなら、まさにこの国のカオスこそ、人の生き様。
東京もワシがいた頃(昭和53年)に比べ、今ではとんでもない人の数です。でも路地によってはひとけの無い所はあります。ところが此処は違います。どんな通りも、どんな路地裏も、人であふれ返っています。交通ルールもあふれ返る車で、ルールがあるようで無いらしく、人も車も好き勝手に動く所が凄まじいです。軽いクラッシュなんか事故には入らなそうで、人も毎日沢山跳ねられているのだそうです。よほどの事がない限り警察は呼ばれません。跳ねた方も跳ねられた方もどちらも悪いからしょうがないんだそうです。。
Posted: 木 - 12月 6, 2007 at 10:57 午前