金曜日土曜日、そして日曜日(笑)


慌ただしくも、あっいう間に時間は過ぎるのです

金曜日の夜は、歯科医師会学校歯科医会の役員慰労会でした。ごちそうを食べながら、皆さんと色々お話をするのですが、皆さん共通なのは先行き不透明な歯科界に対する不安でしょうか。中にはもうあきらめムードだったり、あるいは徹底して個人主義に走ろうかと冗談言ったり。こういうお仕事を手弁当でやっている先生方は皆さん歯科の行く末を本気で憂いながらも、何とかしなきゃと思っている素敵な人達です。
まあ、中には揚げ足取り専門の人も居ますが(笑)、そう言う人がいるから組織がしまってくるという意見もありますけど(笑)。
しかし揚げ足取りはどうでも良いのですが、こういう会議には当然意見の相違は出てきます。公のことを推し進める時個人の私的な思惑を絡めたら駄目でしょ(笑)。私的な損得と組織の損得を同じレベルで論じるべきではありませんし、議論にならないからやめましょうね。
二次会三次会と続き、後輩のTKMT先生と何年かぶりにじっくりお話をして、分かれたのは28時に近かったか(笑)。家族関係者の皆さんごめんなさい。だって久しぶりで、話が色々盛り上がったんですよ。確かに食い続けもあるが、、、、、お疲れ様でした。

次の日土曜日は、女房殿と次男の龍をつれて家族で東京です。日曜日の朝の便でローザンヌな学校に戻るので、前日土曜日は東京に行って頑張ってる(オーディション頑張ってね)長男の駿と合流して、久しぶりの家族みんなで「豪勢な肉」でも食べて元気を付けて皆それぞれのステージに戻ろうじゃないかと。ホテルの豪勢な鉄板焼きで、例えば駿の2週間分の食費を(笑)掛ける4人で一気に食ったのでした。家族の区切りだもの、いいよね、たまには。
ホテルから、実はワシの誕生日おめでとうケーキと(写真撮る前に食ってしまった)ちょっとしたプレゼントをもらいましたが、以前と比べると何かリーズナブルになったなぁと(笑)。



土曜の夜に駿を見送り、日曜の朝7時に龍を見送り、ああ、子供達はみんな自分の路を歩き始めてるなと、、、、その後少しまったりしてました。天気が良く暖かいので新幹線の時間までどこかに行こうかと言うことになり、靖国神社へと向かったのでした。靖国神社は大変な人でした。「英霊にこたえる会」でおこなっている「新たな国立追悼施設建設断固反対」の署名をして、少しいいことをした気分に。あんな追悼施設など中国に擦り寄ったモノを何で作る必要があるか。昭和58年まで何の問題も無く首相参拝だってしてきたくせに、朝日新聞の売国媚中記事(加藤工作員)で中国がここぞとばかりに新しい強請の種を見つけ、以後靖国問題として騒がれるのは、本当に日本人なら心が痛むでしょう。「死んだら靖国で会おう」と言って我が祖国のために散華していった人達に嘘をつくことになることは恥ずかしいことだと思わなければならないし、悲しませてはいけないのではないのか。
もう最後の桜が、ひらと散る美しさに美を感じる日本人なのです。



靖国神社の門前では、骨董市が開かれており、ワシに言わせれば本格的ながらくた市と言ったところかな(笑)。子供達の机の引き出しをそのまま持ってきたようなやつには驚きました。あと、怪しい仏像ならまだしも、絶対どこかの村の道ばたの石仏だろうと思われるようなモノも(笑)。面白いなぁ。そんな中ひときわ目を見張ったのがこの時計達。寺山の映画の中に出てくる時計です。ほしいとは思いませんが、何か違う時間のような気がしますね。



蛸飯を買って新幹線に乗り込み八戸に着いたのは6時過ぎかな。正岡子規の「病床六尺」を読んでいるうちに到着でした。そう言えばワシは、「咳をしてもひとり」という自由律俳句が、結核から来る脊椎カリエスを病んでいた正岡子規と重なり、勘違いしていた時があって、カフカ的K氏に「尾崎放哉ですよ」と指摘されましたな。。よく考えたら正岡子規が自由律と言うことは無い(笑)。
腹は減っていないのですが、数日前届いた独逸の白アスパラを少量のバターを加えゆで、オリーブオイルとマヨネーズで食いました。白アスパラはシャキシャキするんです。うまい。
あっという間に3日間は過ぎたのです(笑)。

Posted: 日 - 4月 11, 2010 at 11:46 午後        




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