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寺山が止まらない
なぜか今、青森は寺山。。。
先般、カフカ的K氏から紹介してもらった本を読んだ。お、面白い。。田中未知さんの人柄の所為もあってか、さらに寺山が見えてきた。さらに今日到着した寺山修司研究創刊号、そして昨年読んだ職業寺山修司。。。。。すごいですよ(笑)。
日本では、寺山修司をあんにアーティストと言う位置付けで批評したりはしないようで、何か風変わりなおかしなセンスとして、まともに理解したくないようで、いまだ正当な評価を控える傾向にあるようだが、カレに短歌を師事して学ばせたワシの、今は亡き伯母は、ワシに言わせると似たような人で(笑)子供のころ全く話についていけなかった記憶がある。感情の起伏も芸術していた。寺山芸術にに初めてであったワシの感想は、伯母そのものだったのである。そしてその独特のリズムはワシの母のそれである。
パラドックスの鬼才と言われた寺山だが、言われるほどの評価がないようにも感じる国内とは別に、海外での高い評価はどういう事なのかと考える。ワシに言わせれば、カレの神髄たる神髄は、、、、異論も多いだろうが、、、「すきま」だと思っている。あの世とこの世の狭間や、生と死の狭間や、昨日と今日の狭間や、好きと嫌いの狭間、、、、この狭間「スキマ」を語らせ書かせ創らせれば、いまだカレの右に出る人はいないと思う。この狭いスキマに、驚くような広大な時間と空間を作り上げる天才なのだ。その空間をまさに自由に吹く風が、寺山の詩を諷、その詩は恐山の硫黄の
匂い
にも似たカレの吐く息だったりもする。。。。
ワシのような完全理系頭脳で、カレを語るのは難しいけれど、彼の創る世界観こそ、計算され尽くされた「すきま」じゃないのかなぁと。ただ一つ。詳しくカレを研究している人は沢山いて、彼らの論文等から図る寺山と、こうあるべきだと言う結論は、、、、、何か三沢の古間木駅前の、細く右へ登った坂のある墓地の中で(ワシのウチの墓もそこにあった)カクレンボをする意志とは、何か少し離れているような、そんな気がしてならないのが少し気掛かりと言えば気掛かり(笑)。
Posted: 金 - 2月 29, 2008 at 01:14 午前
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Published On: 10月 14, 2010 01:19 午前
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