周りも自分も収束へ向けて


良い意味で、盛りは過ぎ秋への準備はあたり前の事です

暖冬の影響で、寒い夏が懸念された八戸でしたが、いやいや暑い(笑)。昨晩の花火大会は、毎年恒例BBQ&花火。一昨年から日曜日開催になったので、希望者のみの参加です。絶好のロケーションはポートアイランド 。これで夏の盛りは一段落です。今年はお客人が多く何やら色々走り回りまして、逆に移動時間を利用した考える時間が増えたので、疲労感の割には気持ちは疲れていません。

さて、8月6日原爆の事を考える日と自分で決めていますが、色々な事が頭を巡るのです。産経新聞のいつもの月一エッセイ「日本よ」を読みましたら、なるほどの事が書いてありました。ワシもいつも思っている文明の衝突。原爆を考えるに、これも文明の衝突の悲惨な結末。過去にも幾多この結末を我々人類は見てきたはず。なのに原爆記念館前の慰霊碑のあの言葉に強い違和感を覚えるのはワシだけだろうか?
「安らかに眠ってください、過ちはくりかえしませぬから」
パール判事は「過ちはくりかえさせませぬから」にすべきと主張。しかし、それではまるでアメリカも日本と同罪で悪いのだと思われかねないとの判断でこうなったと聞きますよ。。。やれやれ、これが負けの本質で、正義は勝ちが決めるのです。まるで日本人が悪いのだからこう言う事はもうしません、原爆落とされるほどひどい事はもうしません・・・と響いて聞こえることに、日本人として本当に違和感はないのだろうか??日本人が過ちを犯しそれを繰り返しませんと宣言する事に、平和の意味等無いのではないかと。そして、その延長線上に久間氏の「しょうがない」ですよ。一国の防衛大臣が日本人は悪い事をしたんだから、原爆落とされてもしょうがない。。。。。アメリカのいいなりになる国防大臣って一体・・。

このエッセイの中に文明の衝突のもう一つ。そう、宗教問題も。ワシも同感だが、韓国のグループが善意でイスラムの国に。この善意は彼らには敵の脅威だと何故分からないのかは、自分たちの信じる神に盲目であるから。原理主義者にキリスト的な一体何を求めたのか???改宗??(笑)欧州における過去の宗教戦争ほど血なまぐさいものはないとワシらは知っているはずです。過去に比べワシらの世界は本当に狭くなったので、みんな分かりあえるとか話せば分かるとか平和主義のお題目が、あたかも正論のような気がしてならないのだが、実は狭いと感じているだけで、頑なさはそれぞれの民族分明に共通のものである自覚が欠乏しつつあるのかなと。砂漠で出会う旅人同士は、どちらかが生き延びる可能性をもつ為にお互い「敵」と認識して略奪する事が彼らの訓育なのに、その場に話し合いや共存を持ち込む裕福さを砂漠の民は歓迎するのだろうか?女性の顔が少しでも見えるとその女性を殴り倒すと言う蛮行を(ワシらから見た蛮行で彼らはそうは考えない)例えばパシュトゥーンの民は否定するのだろうか?女性人権問題とか騒がないのは、彼らの権利意識が低いからなのか?違うだろ。。

白人支配に、世界で初めて楯突いた有色人種の文明の衝突は、原爆と言う悲惨な結末をたどったけれど、世界の有色人種国家の独立にこれほど貢献したにも関わらず、正確にそれを後世に伝えないこの国の責任は、それこそ一瞬のうちに何もかも全てを失った広島長崎に対して、これほどの非礼はないと考えています。

Posted: 月 - 8月 6, 2007 at 11:37 午後        




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