ジョンの命日と開戦記念日
平和を創るのは闘いなのか、歌なのか
12月8日は親愛なるジョンレノンの命日です。彼が亡くなって早28年が経とうとしています。当時ワシはハンドボールの練習を終え、京浜急行堀ノ内駅で浦賀行きの普通電車をまっていた。ふと、横にいたおじさんが読んでいる本日号外に目が留まり愕然とした。「ジョンレノン射殺」何か得体のしれない気が、するすると背中から抜けていくような奇妙な感覚とともに、なぜか涙ぐんでしまった。彼の偉大な足跡は、何と言っても「歌は世界を平和にする」と言う信念。一見無気力に堕落した毎日を想像するがそうではない。歌こそが心を救うと本気で信じていたし、実践していた。戦場における死闘の連続、そのふとした瞬間に訪れる安息の時間に流れる歌が、戦う者同氏の心の救いになった逸話は各国嫌と言うほどある。それほど歌はすごい。国境や異文化や民族や思想を超え、確かに人が人間として心の底から分かりあえるのは、歌しかないだろうとワシも思う。決してこれは左傾的な思想からの事ではない。心の、タマシイの、震えが歌なのだ。だから共鳴するのだ。12月8日は我が国が大東亜戦争に踏み切った日でもあるわけで、左巻の人達は日本の恥ずべき一日にこの日を上げているんです。どうしてなんでしょう。白人世界に初めて手を上げた有色人種の誇りは、世界の注目でした。ワナにはめられ、わずかな手違いと情報漏れ、そして策略。その結果パールハーバーの悲劇。彼らが全て「その事」を知っていたのは事実で、田母神氏の論文は全く正しいのです。ハルノートの存在と追いつめられた日本を救うのは、この方法しかないと苦渋の決断をした当時の日本を、誰が何の権利があって批判するのでしょう。今の日本があるのは、まさか米国様のおかげだなんて思っているのではないでしょうね(笑)。彼らは我が国に原爆を落とした国ですよ。無差別じゅうたん爆撃を世界で初めて日本に対して行なった国ですよ。それほどまでに彼らは圧倒的な火力を注ぎ込んで恐れた我が国日本とは、、、。そういう発想こそ重要なのでは?左翼以外全く理解出来ない村山談話が、政府の公式見解と言って、喜ぶ国は決まっている訳で、こんな国だからこそ12月8日の開戦記念日をワシらは忘れてはいけないのですよ。平和は誰かにもらう物ではなく、獲得する物だと言う基本的概念が、更なる平和をもたらすのです。この、闘いと歌。相反するようなこれら2つのみが、平和をもたらすという事にワシは異論はありません。いざと言う時、話し合いなど何の足しにもならない事を、ワシらは嫌と言うほど学習してきました。金を出さないのなら、六者協議で日本を無視すると公言している北朝鮮。問題のすり替えも見事ですが、その思い上がった身勝手外交に何のすべも持たない我が国の話し合い外交が、はたして、本当に、、、ワシらを救えると、、本気で皆、思っているのか??歌でも歌いながら、未来の平和を本気で考えましょうよ。
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Posted: 火 - 12月 9, 2008 at 10:34 午前