久しぶりの往診
在宅歯科診療はあまり得意ではありません。。心が痛むんです。
久しぶりに往診してきました。ワシは基本的に往診は極めて少ないほうです。インプラントや歯周補綴等の腰を据えなきゃならない場合や、あるいは高度先進歯科医療を念頭に置いた医院を運営している場合、その傍ら往診に行く先生は、患者さんの要求のギャップを埋める事が難しく本当に苦労します。。ワシもそうですが、往診現場の心と身体の応急処置に自信が持てないからなかなか行けないのだと思います。この現場はとても人間臭くて、患者のみならず、介護者のセンチメンタリズムを如何に満足させてあげられるかが鍵になるからですね。例えば、要介護5レベルの患者さんは、こちらの思いや処置に反応する事が極めて難しい訳ですから、患者さんの処置をしながら介護者の顔を何度も見ると言う・・・・。
ですから、「患者さんは満足しているのか?」と言う疑問に対してワシは答える事が出来ません。反面、介護者は例えば奥さんや旦那さんや、お嫁さんだったりする訳ですが、この「介護を必要としている身内」・・要介護者への義理や人情や自分の倫理的満足で無心に介護している現状が現実です。これはあたり前と言えばあたり前なんです。世話になった肉親をを最後まで面倒見るのはあたり前なんです。でも、、、、、そんな毎日に疲弊した時、誰も助けてくれないのもこの現場で、ワシらが往診に行ってもそんな側面は絶対に見せないようにしているのが逆に見えてしまうので、心が痛むんです。
ターミナルケアの重要性を今まで担ってきた倫理観は、ほとんどの国では宗教が担っているでしょう。ところが我が国では、宗教は慶事弔時での形式的なものがほとんどになり、近所のお坊さんがターミナルケアに対して説法説くような事はまずなくなった訳です。宗教のより所をなくした人々は、介護の現場で己の倫理規範を元に、実は自分の心のよりどころとして無心に尽くす構図がワシには非常に辛い現場です。この現場、一体誰が幸せになれるのか・・・・・。何とかそのお手伝いがしたいとそこにむかうのですが、、、医療人はターミナルケアの現場に目をつむってはいけないはずなのに、、、学問すら、宗教すら排除しているのがこの国の終末医療でしょう。。
人は生まれたら、最後は死ぬ。死ぬ為に生きている。だから、最後はどうなったかではなく、生き方がどうなのかが重要。そして、死んだら皆天国に行くんだよ・・・このひと言で多くの生きている人が救われるなら、やはり宗教もすごい。・・・・なんて事を毎回考えさせられる、そんな現場です。
Posted: 火 - 11月 20, 2007 at 04:00 午後