診断の正義
本当に正しい考え方とは・・・
HPからしか入れないむこうのブログ
に少し書き込んで、ヤッパリ不十分だと感じてこちらにも(笑)。向こうの続きですね。かつて10年以上前、ワシはオペをする時、例えば季節、例えば一日の時間帯、例えば天気、そんな日常の事象をかなり意識してオペの日を選んだり、あるいは今日はあまりにも気圧が低いので次回にしましょうかとかしていたんですよ。その背景には、人の「気」の流れと言うものを意識していたんです。その結果の再評価を具体的にまとめたわけではないのですが、個人的にはその時のインプラントにはディスインテグレーションは観察されないと感じています。じゃあ、何時からそれを気にせず何時でもオペをやり始めたかと言うと、ワシが少しだけ米国の毒にさらされた時分からでしょうね(笑)。EBMと言う言葉が、何時からあたり前のように日本の医療現場に入り込んできたか覚えていますか。で、最近はこれがもっとすごくて、誰か、偉い先生の口演の途中でさえその先生はどこかしこのペーパーにこう書いてあるから、、なんていうワシに言わせれば言い逃れの様な責任逃れ(笑)が頻繁に出てくるようになりました。昔は違いましたぞ。私(その先生)の責任においてこう言う事が観察されこう言う結果を「私は」確信する。。みたいな。本来、米国の保険屋さんが支払いを渋る為にいい出したEBMは、いつの間にかそれが正義であるかのような勢いになりました。EBMがはっきりしないものには保険を支払わないと言う規約が出来た為です。確かに科学的などういう根拠を元に診断が下されたかは非常に大切な事です。しかし、過去においてワシら臨床医は、それだけでは解決できない「何か」の存在を感じていましたし、だからこそ前述の「気」の様に形や根拠の薄いものまでに敬意を払い診断項目の一つに入れていたと言うわけです。わしは、こう言う根拠至上主義から来る診断を否定はしません。確かに正しいとは思います。しかし、その事に余りに傾倒するが為に、「自分の目」を「信用しない」で、人のペーパーを信用する風潮は、全くもって頂けないわけです。どう考えても、論文の引用参考文献と臨床の現場を一緒くたにするべきじゃないでしょ。ある時ワシは自分の勉強会
である発表をしました。にわかには信じられないと言うような内容のものでしたが、今までの臨床の積み重ねから「こうじゃないだろうか?」と言う結論を引っ張り出しました。半信半疑の先生方が多かったと思いますが、ある先生が「○井塾で同じような事を教えていた」と言うひと言で皆納得したようでした。本来なら半信半疑のまま、時分の目で確かめてみるべきなのに「○井塾」のひと言で信じきってしまう今の風潮がとても怖いと感じます。同じ事をワシが言ってもウソかも知れないが、筒○先生が言えば本当になる、、、、これ、、やばくないですか(笑)?なんか、こんな人ばっかりだと、、歯科界良くなるわけが無いかも・・なんてすごい不安になってくる。。もしかしたら、そこにぶらぶらで繋がっているその一本の歯が、人生を左右する一本かもしれませんよ(笑)。そこに人生が見えてくるんだから、人生を夢見させる歯科医師になりたいですね。
Posted: 日 - 6月 28, 2009 at 05:25 午後